2017・08
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2008/09/19 (Fri) Jordan Rally 2008: Dubai
満13日間のヨルダンのステイを終えて、帰国の途に着いたのが4月30日。
しかしこの旅は、ヨルダン行きよりも遥かに大変なスケジュールだった。
日程のエントリでも触れたように、ドバイでのトランスファーの空き時間が11時間半もある!
日本でチケットを取った時は数時間程度の観光とホテル泊(日中だけど)のどっちをとるか決められず、「過労状態に加えてむちゃくちゃな旅程だし、空港のホテルをとって寝ておこう」ということになった。

というわけで30日当日、アンマン→ドバイのフライトでヨルダンを発ったのだが、このフライトで「ドバイでのトランスファーがそんなに長いなら観光しなきゃだめですよ!」とガイドを買って出てくれた人がいた。

ショッピングモール?
ドバイの空港。もうむちゃくちゃなことになっていた。
ショッピングモール? 人混みも店の数もものすごい。
この時午後になってまだ間もない頃だったが、この混雑っぷりは午前1時でもまったく変わらなかった。なんなんだこりゃ!と思ったが、よくよく考えてみると、午前1時やら3時やらの便がそれなりにあることから、一日中こういう状態なんだろう。時間の感覚がまったくなくなってしまう。
>>> Dubai International Airpot (ドバイ国際空港)

荷物をホテルに預けて空港を出る。
「ここの交通状況は少し変なんですよ。近年の街区のプランニングがよくなかったようで」
クルマでの移動しか考えていない街づくりをしてしまったため、街の大動脈である道路の反対側に行きたいだけであっても、徒歩では渡れない。クルマで行くしかないのだという。おかげでドバイの街は自家用車やタクシーで埋め尽くされ、運よくタクシーを捕まえることができたとしても交通量が多いため移動にも時間がかかる。
古い街区は昔の残り香がして好ましく思ったが、新しい街区は街づくりがあまりにも急激に、そして不自然極まりない方向性に行われてしまったため、個人的には恐怖をおぼえる光景になっていた。

海岸線は乱立するホテルやパーム・リゾートのような人工の島ですっかり造りかえられており、ドバイの街は急ピッチで建設が進んでいる高層ビルの森。

乱立するビル

バージ・ドバイ
完成すれば世界一の高さを持つビルになるという Burj Dubai。
手塚治虫の描く近未来の世界のように思えた。
(ちなみにこれを上回る超高層ビルがクウェートで建設中とのこと)
>>> Burj Dubai

世界最大級のショッピングモール
中にスキー場があることで有名なショッピングモール。
この日はヨーロッパから来た舞踊団がステージでショウを披露していた。
>>> Mall of the Emirates

ここに限らず、ドバイで見た店はレストラン・モールに限らずすべて店員が東南アジアや南アジアから来た人々だった。地元アラブ人が働いている様子はまったくない。
(古い街区はまた違うのだろうとは思う)

どこもかしこも金の匂い
同モールにて。
ここだけアラブ人がいて「あ、そういえば私ドバイにいるんだ」と我に返った。
通常、こういう通路にある小さなブースといえば安いバッグやグッズなどが売られているが、このブースは何と不動産販売。ゴージャスなコンドミニアムや投資目的の物件がまるで安いアクセサリーのように売られていた。開いた口が塞がらない。

ドバイの夜
夕食は、これまた巨大な商業施設の中にあるイタリアンレストランで。
相変わらずウェイター達は皆東南アジアの人々だ。
客も「外」から来た人々ばかりで、いわゆる地元民はほとんどいない。
食べ物はイタリアンだし、ワインもイタリアやフランス、チリのもの。
これら商業施設内にいると、アラブ地域にいる実感が全くわかない。

外に出ると、目の前にバージ・エル・アラブがそびえたっているのが見えた。
少しづつ色を変えて、七色の半月のような姿だ。
世界はこんなにも早く動けるものなんだなあ…
>>> Burj el Alab

ガイドしてくれたアメリカ人ビジネスマンに丁重に例を言うと、「私自身、こちらに来てから地元アラブ人には何から何までしてもらっていました。それがこの地の礼儀の示し方なんですよ。仲間内でも自分が支払いたいという理由でケンカになったりするぐらいですから。あなたもいつか、別の人にしてあげればいいと思うんです」と言われた。

6時間ほどのプチ観光の後、空港へ。この時点で私のフライトまであと3時間ほどしかない。ホテルにはもうちょっと早く戻る予定だったのでキャンセルしていなかった。しかたない、せめてシャワーだけでも浴びて仮眠をとるか…とコンシェルジュに伝えると、「もしシャワーだけ必要だというのでしたら、お部屋をわざわざとっておくことはありませんよ。この階にシャワーだけの設備がありますから、そちらをご利用になってはいかがでしょうか」。なんと、部屋をその場でキャンセルし、一回数千円で二時間いっぱい使えるシャワー施設を紹介してくれた。

大きくて清潔なシャワー室(個室!)で熱いシャワーを浴び、ふわふわのタオルとバスローブに感動し、思う存分ストレッチや腹筋背筋、スクワットまでして身体はすっかりリフレッシュ。衣服を身に着けて個室を出たあとは、ほとんど人気のないところで思いっきり雑誌を読みふけった。階下はものすごい人がうごめいているのに、ここは人が殆どいない。天国だ…。
こんな形でオイルマネーの威力を思い知ることになるとは!
金銭的余裕があるということは、サービスも思う存分できるということか。

そしてドバイ→成田便に搭乗。
エコノミーだが、身体の調子が思うよりよくなったのと、充実しすぎている機内エンターテイメントシステムのおかげでずいぶんと良い状態で帰国できた。

ドバイは私には人工的すぎて何より拒否反応が真っ先に出てしまったが、また行くことがあればもっとじっくり時間をかけて観察したいと思う。前述のビジネスマン曰く、古い街区もなかなかおもしろいそうだ。

以上でヨルダンラリー記(最後はUAEだが)、完!
平和を願う心
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2008/09/03 (Wed) Jordan Rally 2008: Other Sites
ペトラやラリーといったメインポイント以外にも、ヨルダンではさまざまな場所を訪れ、さまざまな体験をした。

右から左へ読みます

Aqaba : 4/22
ヨルダン南端の紅海に面した港町。
エジプト、イスラエルおよびパレスチナ自治区、サウジアラビアとの国境でもある。
紅海でのダイビングを楽しむため主にヨーロッパなどからの観光客で賑わう。
私達がいた日は40度を超えていたと思われ、外を歩いている人は少なかった。
10分も歩いていると倒れそうになるという貴重な体験をしてしまった…
ちなみにWikipediaによると、『世にも珍しい黒バラの咲くところ』とのこと。

他国だらけ
手前に見える陸地がイスラエルおよびパレスチナ自治区、向こうに霞んで見えるのがエジプト…とは地元の人の談。ここには国王が所有する広大な別荘地もある。

交通の要所
中東・アフリカ・アジア・ヨーロッパを結ぶ一大要所だったアカバには遺跡も多い

教会
教会として建てられた建造物としては世界最古らしい、教会跡。
今はゴミが投げ捨てられて見るも無残な姿だ。
当時のキリスト教徒は、あの廊下を、一体どんな服装で、何を手に持って、どんなことを考えながら歩いたんだろう。

それでも花は咲いていた
強烈な太陽に負けずに咲き誇っていた花

あまりにも暑いため、アカバでの滞在はわずか4時間ほどだった。

再び砂漠の道へ
デザート・ハイウェイはごらんの通り素晴らしい状態!


Jerash : 4/26

ラリー二日目のこの日は、首都アンマンから一時間ほど真北にあるローマ期の遺跡ジェラシュへ。
大理石を敷き詰めた道の保存状態が非常に良く、馬車の轍の跡まで見える。感動!
広大なエリアを埋め尽くす数々のすばらしい建造物と掃いて捨てるほど転がっている遺物が圧巻。写真を撮りたい人、ゆったり歩き回ってローマ期に思いを馳せたい人に強烈にオススメしたい。

有名なプラザと列柱群
この円形プラザと列柱はあまりにも有名。美しい~!

プロには敵いません
ジェラシュのパンフレットやガイドブックに必ずと言っていいほど現れるこのアングルの写真。
私もチャレンジ…したけどやはりイマイチ。写真撮るには本当に楽しい場所!

じゃーん
友人に撮ってもらった一枚。日差しが強すぎて笑顔にもなれず!



Madaba : 4/23-28

ラリーHQやサービスパークに一番近い宿泊所は死海のリゾート地だったため、節約三昧の我々二人は他の町を探さざるを得なかった。宿などを手配していた三月、私がちょうど仕事で忙しかったので友人に任せっぱなしにしてしまっていたら、「いいとこ見つけたよ!」

マダバはアンマンから南に一時間ほど下った、死海からも45分~1時間程度のところ(死海~マダバ間は見通しが悪くて危険極まりない道を通るので夜はとくに時間がかかる)にある町だ。ここの特色として、「キリスト教徒が特に多い」というのがある。大部分がイスラム教徒のヨルダンにおいて、ここは珍しくカトリック教徒とギリシャ正教徒が幅を利かせており、それぞれ立派な教会も持っている。ちなみに宗教は違えど、みな同じアラブ系。

23日から28日まで、ここを観光とラリー観戦のベースとした。
死海への交通アクセスはアンマンからの方がスムーズだが、かかる時間はほぼ同じで、こちらはよりゆったりすることができた。ごはんはおいしく、みやげ物は充実し(モザイクが有名)、珍しい宗教の混ざり具合を観察できる楽しみがある。今後ヨルダンラリーに行く人にはあえてマダバをおすすめしたい!

実はここはラリー三日目に出会ったJICAのボランティアの若い女性が住んでおられるということが判明し、一緒に食事をしながら興味深い話を聞くことができた。西洋で思われているほど女性の地位は「低い」わけではなく、多くは「分けられている」のであり、女性も男性同様のポストにつくことが多い(学校などは男女で分かれているため、女子の学校では校長から教員まで全員女性)。事実、ラリーの現場でも女性が非常に多かった。ちなみに家庭ではカカア天下が多いらしい。

夜の光景
マダバの町とモスク

誰がために鐘は鳴る
泊まった宿はギリシャ正教徒の家族による家族経営。
毎朝7時には、真向かいのギリシャ正教の教会の鐘が鳴った。

世界がここにあった
教会内部。足元には、現在残っているだけでも200万片からなるモザイクの世界地図が。

世界の中心
右側の楕円部分が、エルサレム。
ギリシャ語で「聖なる都エルサレム」と読める。当時の世界の中心。

ごちそう!
羊肉のシュワルマとオレンジジュースばかりの日が続き、猛烈にまともな食事をしたくなってしまった。運よく近所に Haret Jdoudna というおしゃれな店を発見。このサラダは私の32年間の人生でもトップ3に入る、感涙もののおいしさだった。毎日でも食べたい!!
節約に節約を重ねたけど、この日はさすがにこらえきれずお酒(ワイン)解禁。

人懐こい土産物屋の主人
マダバは、教会やローマ期の昔から素晴らしいモザイクを造ることで知られていた。
現在でもレプリカが多数作られ、地場産業として発達している。

ここでは割愛するが、マダバには無数の遺跡や博物館が点在している。
ほとんどが小さなエリアに凝縮しているため、丸一日あれば主要なものはあらかた周ることが可能だ。ただし女性は一人で出歩いてはいけません!噂には聞いていたけど、アラブ系の男性は女性によくセクハラをする。外国人の女性相手ならもっと積極的。周りに人がいれば大声をあげ、いなければビシッと跳ね除けて逃げるが一番。女性はご注意!


Mount Nebo : 4/24

聖地のひとつ

ネボ山は、旧約聖書でモーゼが終焉を迎えた地として記述されている。
人々を連れてエジプトを逃れたモーゼ一行は「約束の地」目指して歩み続けたが、あと一歩というところでモーゼは神のお告げにより一行と別れ、ここに留まり、その一生を終える。人々はそのまま約束の地に到達するのである。

ネボ山は20世紀になってフランシスコ修道会が山をまるごと買い取り、現在は巡礼の場および観光地として一般に開放されている。静かに祈りをささげられる部屋や、伝説に由来するオブジェがあるのはさすが「生きた祈りの場所」と言う感じがする。過去の遺物ではないのだ。

祈りの部屋から

美しいモザイク

ふと見上げたら!

当時と変わらない眺め
モーゼ達は、この乾いた荒地を見てもまだ望みを捨てなかったのか


Dead Sea : 4/28

突然現れた
死海近くの道を往くラクダの群れ

ラリーも終わり、大部分の関係者や観光客が発ったところで死海の某リゾートホテルに一泊だけした。高い!!今までの安宿のウン十倍だ…。でも一日だけダラダラしたかったので、その価値はあると判断。

心が潤った
わーお!!

むし暑い
これでも最低地点にあらず。
雑学王のSTI工藤社長曰く、「海面から100m下がるごとに気温は0.6度上がる」そうで、確かに妙な蒸し暑さがあった。社長にはラリー中に友人共々夕飯のご相伴に預からせてもらい、大変楽しい時間を過ごさせていただいた。感謝。

死の海
あちらに見えるはイスラエル・パレスチナ自治区。
死海は生物が生息し得ないほどの塩分濃度で知られているが、そこを吹く風は塩気が一切なく、実にさらっとしていた。


「その他」を全部放り込んだために長くなってしまった。
ヨルダンは、本当に良いです。また行きたい!

2008/09/01 (Mon) Jordan Rally 2008: Rally
ヨルダン9日目にしてようやくラリーです。
それまでに周ったネボ山やマダバ、ジェラシュ、アカバについてはまた次のエントリで!

ハイヨー!

Jordan Rally 2008


今回のラリーは
Day 1: SS1/5, 2/6, 4/8
Day 2: 観光(ジェラシュ)
Day 3: SS22, Podium Ceremony


そういえば今年から、従来の「レグ」から「デイ」になったのかな?
あまりに自然すぎて、言われるまで気付かなかった!
ラリーらしい(と勝手に愛着を抱いている)「レグ」よりも、確かにこちらの方が解りやすい。
今回も、初日はおなじみラリーラジオのコリン・クラーク氏と周らせていただいた。
木曜日は事前学習とばかりにサービスパークを拝見。

「ヨルダンラリーにようこそ」
サービスパークのある死海のあたりには人は住んでいない。町がないので、がらんとしたハイウェイをひたすら走っていくと突然左側に現れる。到着10分ほど前になって、急にこれらのバナーを見るようになった。気持ちの高揚がおさえられない。もうちょっとだ!

人気がまるでない
レンタカーをパーキングにとめ、入場。右側の高台にサービスパーク、左奥に見えるのがHQ。

エキゾチック!
こちらがHQ。内部はアラビア~ンな感じでとてもエキゾチック!

sh_Amanda 4-24 056
話は戻って再びサービスパーク。こちらはショップエリア。
バーガーキングやスターバックスも来ていた。
(後日利用:むちゃくちゃな値段だったが熱射病寸前+空きっ腹には本当においしかった)

がんばれノルウェー
誇らしげにノルウェー国旗をかざすノルウェー人。
出てきたペターとノルウェー語でなにやら言葉を交わしていた。
どのラリーに行ってもノルウェー人はいる!!(ジャパンは最近いないけど)

唯一のペター写真
今回もペターは本当に残念だった!
ずっと苦しい状態が続いていることだろうが、乗り越えてほしい。

さて、デイ1はSS1からスタートだ!
コリンはステージエンドの取材担当なので、初日の待ち合わせはSS1のエンドポイント。
地図らしい地図は特に持っていなかったが、なんとか無事に到着。邪魔にならないところに
レンタカーをとめ、コリンとの再開を喜ぶ。周りにもちらほらと馴染み深い顔が。
知らない人にも、気軽に話しかける。体にまとわりついてくる小虫を払っていると、
「そうそう、ここ虫がすごいよね~」
「虫除けもってきた?」
「いや、必要ないかと思って持ってこなかった!」
「じゃあこれどうぞ、使って!」
待っている時間がとても楽しかった。また会うことはないかも知れない。でもこうして、世界中の様々な人と共にラリーを楽しめる瞬間が味わえるのが何よりも嬉しい!

いつものルーティン
SS1はすでにスタートしている。コリンは、クルマのフィニッシュに備えてコメントをいくつかレポート。向こうに見えるヘリは、地元のラリー関係者いわく「王様じゃないかしら」

来た!
一番手のミッコ、フィニッシュ。待機していたメディアがわっと群がる。
ピレリの技術者はタイヤの状態を確認。

きちんと対応
本当に精悍な顔つきになった!

貴重なデータを収集
これはSS2フィニッシュ地点で。気温も上がりつつあった。

SS2
SS2の淡水湖横のステージを疾走するソルド。赤い車体が埃っぽい大地に映える。

手前左にはスペイン国旗をかざすファン、右には地元の少年少女達。
保守的なアラブ国家と違い、少女達には頭を布で覆っていない子もおり、ごらんの通りかなり体にフィットした服を着てもOK。ただし、未婚の男女が一緒にいるのはまずい模様。友人同士でも、かならず男子グループと女子グループに分かれる!(キリスト教徒だと話は別)

女性に注目
SS4フィニッシュ地点。女性もバリバリ重要ポストを務めている。

ここは山の上に近いところがフィニッシュなので見晴らしが素晴らしい。
というより、ベテラン記者をもって「ウン十年この仕事やってて、こんなすごいステージは初めて見たよ」と言わしめる大パノラマ。ステージスタートからエンド近くまで、ほぼ全部が見られる。案の定、見渡せるところにたくさんの地元ファンや海外からのファンが座って眺めていた。気持ちいい!
(マシンはルクセンブルグからエントリーのルノー)

集中のひと時
SS5。一人取材を終えるごとに一斉にまとめや連絡に入る。

やっぱりボロボロに
SS6かな?
見事にちぎれたガリ車。フォードはよくここ壊してタイヤ失くしてるなあ…

行け行け~!
SS8フィニッシュ。
この男性、実は日本人。JICAからヨルダンに派遣されてきた若い日本人の方々と偶然出会ったのだった。全員ラリーファンなの?と訊くと、「いや、こっちでメカニック技術教えてる子がラリーの大ファンなんです。彼が誘ってくれたんで、僕ら全員一緒に来てみたんですよ」。今まで海外のイベントには行ったことがなかったが、ボランティアで来ていたヨルダンで偶然WRCイベントが開催が決まり、これは行かねば!と駆けつけたらしい。皆楽しめたかなあ。少し解りづらいスポーツだけど、きっとメカニックの彼が頑張って説明してくれたことだろう。

この時出会った女の子とは、宿泊先の町に偶然住んでいてごはんも一緒に行ったこともあり、今でも連絡を取り合っている。ユースセンターのお仕事、頑張れ~!

ラウテンバッハ車
ラウテンバッハ車、SS8フィニッシュ後ストール。押してる人たちは何やら楽しそうだった。

らくちん
デイ3、サービスパークにて。セグウェイ大活躍!
スズキはどうにも揮わないなあ…がんばれがんばれ!

東と西のコントラスト
ご招待いただいたフォードテントにて。そういえば冠スポンサーはアブダビだった!
左右に「いかにも」東西を代表するような方々がいた。

目には見えない高い壁
SS22は、このラリーのハイライトとも言えるヨルダン川沿いのステージだ。
ヨルダン川は昔イエス・キリストが預言者ヨハネから洗礼を受けた地としてキリスト教の聖地であり、現在は対岸にあるイスラエル・パレスチナ自治区とヨルダンの国境でもある。ちなみにイスラム圏では「パレスチナ」を使う。「イスラエル」は主にキリスト教の西洋諸国、特にアメリカの主導で無理やり作り上げたユダヤ教徒の国の名であるからだ。イスラエル建国の際にはその地に定住していたイスラム系アラブ人が追い出され、あるいは安住の地を求め、その多数がヨルダンに流れてきている(ゆえにヨルダンの人口の7割がパレスチナ人)。

ステージのためのスペクテイター用パーキングには、ヨルダン兵がライフルを構えている櫓があった。初めての光景に思わず「写真撮ってもいいですか」と問うてしまったが、その場にいたヨルダン人男性に「だめだめ、軍関係は一切写真禁止だよ」と言われた。当然ではあったが、チャレンジせずにはいられなかった。こんな場所をステージに選ぶなんて、ヨルダン王室はすごいなあ…

まだちょっと緊張した面持ち
レンタカーをとめて、坂の下のスペクテイターエリアへ。
手前に真っ赤なトラックがとまってたのでふと目をやると「From the People of Japan」とあるじゃないか!思わず中にいた方々に「すみません、このクルマは日本からなんですか?あなた方のご職業は?」と質問攻めにしてしまった。「大胆な行動」に出た「外国人」の「女性」に対してどんな反応が来るかと思いきや、案外フレンドリーに応えてくれた。三人の方々は、万一が起こった際のクルーで、メディックもいた。トラックに関しては「日本からの贈り物なんだ。扱いやすいしよく出来てるよ、有難い」と身振り手振りを交えた英語で伝えてくれた。
彼らが出動する必要がなくてよかった!

ニカッ!
一番ノリノリだった若手君。カメラを向けるとこの笑顔!

精一杯のズームイン
そうこうしているうちにSS2スタート、マシンが続々登場。
クリスがんばれー!!
川岸の向こう側はイスラエル・パレスチナ自治区。

遠い
SS22スペクテイターエリアはこんな感じ

sh_Amanda 4-29 045
SS22、メインのマシンを見終えて坂道を登って振り返ったら、高いところにスペクテイターが。
なんだかドラマチックだなあ…今度はあそこで観てみたい。
川岸向こうの大地はやはりイスラエル・パレスチナ自治区。

Podium Finish


仲良し
マシンもピカピカになったところで、セレモニー待ちのドライバー・コドラ達。
本当によく和気藹々と話してるなあ。
それにしてもヘニング何してんの!いつもおもしろいなあ(笑)

出てこいよ~
ソルドの静かな時間をお邪魔するヘニングと…ヤルモかな?
ジジもしばらく車中にいた。暑かったから!

べー
「ジジ!」とカメラを向けたらベロを出された。
実は二年前のジャパンでいろいろ話したことがあるのに忘れられてる(笑)

ミラー加工
ミラー加工ばりばりのローブ車

陽気な地元っこ
BGMに合わせて踊りまくる地元の子供と手拍子するお父さん。

笑顔!
セレモニー終了後。
「よくやった!!」とばかりに笑顔全開のマルコム・ウィルソン。
セレモニーそのものは、ポディウムの正面がプレスの方しか向いていなかったためまともに見られず。これは本当にどうかと思うけどなあ。「ヨルダンラリーの狙いは、ヨルダンという国のアピールだからね」というジャーナリストの言葉を思い出した。確かにテレビや雑誌・インターネットといったメディアと外側にだけ意識が向いている印象がある。それにしても、ここまでスペクテイターを度外視されるとなあ…地元ファンも海外ファンも楽しめない気がする。次回はいろいろ変わっているといいな。

最後だけはどうにも後味悪かったが、一スペクテイターとしてはステージもバラエティに富んでいておもしろかった。見に行けるステージが少なめなのと、行けるものでも観戦できる箇所が少ないのがもったいない!今年はどうしても初回だから、しょうがないかも知れない。次回に期待!

お疲れ!
ポディウムフィニッシュ前にクリスと。
ラリーフォトグラファーのRalph Hardwick氏が撮ってくださった。
さすがの腕!やっぱりプロはすごい…

2008/08/26 (Tue) Jordan Rally 2008: Petra
Petra


数日お世話になったアンマンの宿を出発し、予約しておいたレンタカーゲットして出発。
アメリカ系の会社だったからか、料金もアメリカ並み!
しかし勝手も道路状態もわからないので、万が一を考えての選択だった。
現地で借りてたら相当安かったんだろうと思う(宿でも「うちのがよっぽど安い!」とアピールされまくった)

頭上の道路案内

ペトラや死海など、だいたいの観光地はヨルダンの北の方に位置するアンマンから真南および西南にある。南へは大動脈と言える高速道路が二本すっと伸びていて、うち一本は景色はたいしたことはないがハイスピードでまっすぐ走れるデザート・ハイウェイ、もう一本は「高速」というよりは大規模な道路でそれほどハイスピードでは行けないものの、景色が良く十字軍の砦がすぐ脇に点在しているので観光に適したキングス・ハイウェイ。あともう一本、ヨルダン川に沿ったものがあるのだがこれは何かと薦められなかった。

走り続けること3時間ほど、ペトラ近接の町、ワディ・ムサ(Wadi Musa)に到着!
親切なストップサイン

予約を入れていたホテル(さすがに安宿はリスキーだったので回避)に荷物を降ろし、そのままカメラを持ってペトラへ。五分ほど歩いて到着、三日間の通しチケットを購入。

Hashemite Kings
前国王と現国王の肖像写真が掲げられているビジターセンター。
現国王の目の色、ちょっと強調されてない?

強烈な太陽の下
入ってすぐ姿を現したナバタイ人の遺跡。これは特にエジプトの影響が色濃く現れている。
ここからまさか数時間歩き続けることになるとは…勉強が足りなかった。入り口すぐのここは、馬(タクシー目的)と人が通るところがきちんと分けられている。
ところで後で知ったことだが、ちょうど同じ週末にラリー関係者やドライバー・コドラ達、メディア関係者が数多く遊びに来ていたようだ。まったく気づかなかった…私服だから?

有名な岩の裂け目の道
Siqと呼ばれる、有名な岩の裂け目の道。遺跡入り口から30分ほどだったか、その先にある。
ここを抜けると、あの有名な通称El Khazneh(宝物殿)が待ち受けている。
心躍らせながらどんどん歩いていった。

El Khazneh
さらに30分後、見えてきた!憧れの薔薇色の遺跡が目の前に。感動。

しょんぼりな光の当たり方…
岩のトンネルを抜けきると、ざあっと開いた空間の前に静かに、でも堂々と佇んでいた。二千年ほど前に造られたままの姿とは思えないほど、細部まで美しく保たれている。これが岩壁からくり抜かれたものだなんて!
概観はこの通り美しいが、中の部屋は単なる四角で何もない。地下からは、発掘の結果三つの墓が発見されたそうだ。

ノミの跡
大きなくぼみは当時の職人の足がかりだったとどこかで聞いたが、本当だろうか。
これだけの長い間、よく風化しなかったなあ…(建物全体に言えることだけど)

働き者のロバ
さらにどんどん進む。ペトラ全体を見たかったら、最低でも片道3時間は覚悟しなければならない。体力が心配な人、疲れた人、中東っぽさを楽しみたい人はロバ、馬、馬車、ラクダなどがおすすめ。馬と馬車は主に出入り口付近、それ以外ではロバとラクダになる。値段は、陽気なベドウィンと楽しく会話しながら決めると良い。私はありとあらゆるところで節約していたため、そんなやり取りを眺めるにとどまりました・笑

モデル慣れしているラクダ
やっぱり乗っておけばよかったかなあ

ラクガキ
どこの国や文化圏でも自分の名前を刻んでいく人はいるんだな~

いまだ残るローマ風石畳
遺跡半ばほどの地点。右側には大規模な水路、左側には巨大な神殿や劇場があり、この通りは市場でもあったらしい。当時から残る石畳の上を敢えて歩いた。

Al Deir
通称Monastery (修道院)の、Al Deir。実際、一時はキリスト教徒によって修道院として使用されたとかされなかったとか。中にはひょいとまたいで入れそうだが、中から引っ張りあげられないと入れないくらい高い位置(たぶん130cmくらい)にある。私が四苦八苦していたら、中で笛を吹いていたベドウィンが手を伸ばしてくれた。

ここへ来るまで、およそ3時間ほど。疲れ果てていたので、修道院の真向かいにあるベドウィンのカフェに立ち寄る。お店があちらこちらにあるので水がずっと補給できるのは本当に有難い。大きなボトルを手に歩いていたのだが、あまりの暑さに中の水が熱くなってしまい、飲めるものではなかったからだ。

右の人はあんな格好しておきながらずっと携帯で話していた
カフェ内。壁側はベドウィン式に寝そべってお茶ができるように設えられている。
外でぼんやり水を飲みながら向かいの美しい建造物を眺め、写真を撮り始めたら…

朝飯前だよ
チャレンジャー登場!これには本当に驚いた。
ひょいひょいと崖を登り、地上数十メートルというところにある頂上に上がり、なんとなしに景色を眺めるそぶりを見せたあと、突然真ん中部分へジャンプ。真ん中の一番上にまた上り、「いかがでしょうか!」とばかりに両手を上げて私達の拍手に応え、再び横の崖からひょいひょいと降り、そのまま去っていった。きっと、ここに住むベドウィンなんだろうな。心躍るハプニングだった。

たんぽぽと見間違えた

さて、ペトラではベドウィンとの素敵な出会いがいくつかあった。
初日、友人とさくさく歩いていると「ロバに乗らない?ロバいいよ!二人一緒なら安くしとくよ!」と声をかけてきた若い男性がいた。「いや~今日はまだ元気だからいらないなあ。明日もまた来るから、疲れたら頼むかも」と告げたところ、「明日だね、わかった。見かけたら声かけるから、乗りたかったら言ってね!」と大きな笑顔でさらっと去った。ベドウィンのこういうところが私は好きだ。ただ、その理由は無理やり客を取らなくても悠々生きていけるからというのがある。このベドウィンの男性には翌日、翌々日と二回会った。劇場跡で写真を撮っていたら、「疲れた?今日はまだ元気?」驚いた。覚えていたのか!ごめんね、お金ないからよっぽど必要じゃなかったら乗れないんだよ~というところから始まり、しばらくダベっていた。彼らはずっとロバに乗っている。彼との会話も、(私がちょっとした足場に立っていたからか)彼はロバの上からだった。

一人目の友達

二回目は、修道院からの帰り。へとへとになりつつ歩いていたら、上の方から「アマンダ!お茶していくかい?」。見上げると、ナバタイの岩穴から彼が顔をのぞかせていた。後ろには西洋人のキラキラした笑顔がいくつか見える。「本当によく会うねえ。どうしたの?何してるの?」と返すと「今、今日友達になった人達とここでお茶してるんだ。ミントティーおいしいよ、キミ達も飲んでいきなよ」。だが不幸にも、友人がかなり具合が悪くなっていた(脱水症状気味)ので、まずはホテルに戻りたかった。残念ながら、遺跡でのお茶会は断念。本当にフレンドリーな子だった。

次は、モハメドだ。
ペトラ二日目、今度こそいい光で宝物殿を撮るぞ…と、その時間をぼんやりと建物前の前の岩場に上って待っていたら、ぴょんと身軽に上がり、近くに座り込んでタバコをすいだした若い男性がいた。ベドウィン?他のベドウィンのように仕事してる風でもなし、一体何してるんだろう… 「あなたはベドウィンなの?」と訊いてみると、「そうだよ。でも俺、働かなくていいんだ。家が金持ちだから。皆が働いたり観光してるのを、いろんなところで眺めるのが好きなんだ」と言う。訊くと、ペトラからも肉眼で見える高台に整備された、政府が宅地造成した一角に実家があると言う(この辺は長い話になるので端折る)。クルマも持ってる、ケータイも持ってる。「まあケータイはどのベドウィンも持ってるけどね」。じゃわざわざあんな遠くから毎日来てるの?「俺さ、ベドウィンらしい生き方が好きなんだ。だから17の時に家を出て今は修道院の近くの岩穴に住んでるよ。二頭のロバと一緒に。ここは本当に最高だ。空もきれいだし、皆ここに住むのが大好きなんだ。永遠に変わらないでほしいよ」 何か色々な考えが頭をめぐった答えだった。


モハメドのロバに乗って

私と友人をすっかり気に入った彼は、とっておきのスポットを紹介してくれると言った。「宝物殿を上から見られるところなんだ。もう行った?俺はベドウィンしか通行が許可されていない道をいつも使うんだけど、行きたいなら観光客用の道を案内するよ。俺のロバに乗るとラクだ」。そして私達二人は荷物を彼の愛ロバ(?)にくくりつけ、一時間半ほどの過酷な登山(山道を登るという表現は生ぬるい)の後にそのスポットに到着したのだった。

高い!
あの巨大な宝物殿がおもちゃの家のようだった。人もアリみたいに小さい!
ここはよく知られているスポットなので、観光客(猛者系)が6,7人ほどいた。
入れ替わるように、私達も崖の上から覗き込む。すごい高さだ…。
何かと強がって水をほとんど飲まなかった友人が体調を崩したので早々に退散。
ペトラで水を飲まないのは自殺行為なので、これから行く人はくれぐれもご注意を。
(一人目のベドウィン青年とはこの帰りに再び会った)

ベドウィンカフェ
すっかりグロッキーな友人を最寄のベドウィンカフェに連れ込み、モハメドは「ベドウィンのミントティをたっぷり飲むといい。少し休めばラクになるよ」と注文してくれ、「じゃあ俺はまたちょっと周ってくるから」と颯爽と去っていった。3時間近くの観光案内をしてくれたのに、私達からは一銭も取らなかった(どうにかコーラだけは奢ることに成功)。かっこいいなあ、モハメド。素敵な奥さんもらって幸せになれよ、となぜか思った。

おいしかったミントティー



2008/08/24 (Sun) Jordan Rally 2008: Amman
サービスパークにて

アメリカ・モントレーに到着して少し余裕が出来たので、学校が始まるまでに全部アップを目指します。今回は写真がメインなので、日程通りにせずテーマ別にしました。
★ヨルダンについてはSubiesport誌6・7月号に提供した記事と被っているところが多々あります。会員の方はぜひどうぞ! >>>Subiesport Digital Edition (June/July 2008)

Amman

羽田→関空→ドバイ→アンマンというルートでようやく到着。
アンマンの空港では宿泊予定の宿の人が迎えに来てくれていた。
アラブ人はサービス精神がまったくないと脅されていたが、タダなんてやるじゃない…と思っていたら、案の定フィーが発生していた。
もしかしたらタクシーのほうが安かったんじゃないか?
でも非常に陽気でおしゃべり好きの人(パレスチナ人だった)だったのでこちらで正解。
宿では前日に到着していた友人が待っていた。よし、アンマン探索と行きますか!



石油産出国や技術大国に囲まれたヨルダン、実はどちらでもない。
観光と農業、そして何よりも国王の外交的手腕でなんとか成り立っている国だ。
列強の中にあってこの小さな国が飲み込まれないでいるのはすごい。
決して裕福ではない国だが、そういう所だからこそ見られるエネルギーを感じられた。

部屋からの眺め
部屋からの眺め。薄暗いなあ… 写真を撮る直前はたくさんの子供達が駆け回っており、
男達が笑いながらだべっていた。

モスクの塔
国王の名を冠したモスクの塔

1ブロックに1つはあるジュース屋
どこにでもあるジュース屋さん。好みのフルーツでジュースを作ってもらう。
私はオレンジとグレープフルーツ半々で作ってもらった。ジョッキ一杯一気飲み!

丘の上
ローマ期の遺跡目指して丘の上へ。
子供達が凧を飛ばして遊んでいた。

芥子の花
ヨルダンは春がもっとも美しい季節。花がそこら中で咲いていた。
もう1・2ヶ月もすれば暑さと乾燥が過ぎて花はすべて枯れてしまうという。

世界一の旗?
ヨルダンの人口の7割だか8割が集中しているアンマン。
遥か遠くにそびえ立つのは世界一(を目指した)の大きさの国旗!

焼き鳥屋さんそのもの
これだけ歩き回っていると腹も減る。
見つけたスタンドでシュワルマ(羊肉のサンドイッチみたいなもの)をオーダー。
若い男性は「ちょっと待っててね」と頑張って肉を焼いてくれた。

5分後…
完成!羊肉はこんがりジューシー、野菜もちょっとだけ隠れて添えられている。
大きすぎたので、ディナーにちょうどいいかも知れない…
動物性蛋白質をしっかり補給したところでさらに歩き続ける。

おお!
ふたつめのローマ期遺跡の駐車場に停まっていたタクシーをふと見ると、ヨルダンラリーのシールが!あまりの感動に友人と二人して写真を撮りまくる。その後このシールをいろいろな(思いがけない)ところで見ることになる。

地元民?
日差しが強すぎて、首元に巻きつけていたスカーフを頭に巻きつけた。
地元に溶け込もうとしているのではなく、本当にこれをやらないと髪が焼け落ちてしまいそうだった。あの民族衣装は実に理に適っている!

カラフル
リベラルなヨルダンでは真っ黒のブルカは見かけない。
女性はみなカラフルな服を着ていた。

劇場跡
現ヨルダンのエリアは、ローマ時代、いやそれ以前より交易の重要なルート上にある。
それ故様々な文化の痕跡が今もたくさん残っている。これはローマ期の劇場。

5分前まで走り回っていた子供達
「撮っていい?」とカメラを向けたらポーズをとってくれた子供達。
劇場跡のてっぺんで。

民族衣装
劇場の左右にはそれぞれ小さな、しかし素晴らしい博物館(資料館)があった。
こちらは民族博物館。近隣のベツレヘムの女性の伝統衣装。
この国で見た衣装はどれもカラフルで緻密な刺繍が美しかった!

自分撮り
古い鏡の中の自分をパチリ

夜の劇場跡入り口
夕食を近所の安い食堂(シリア風羊肉料理が絶品!)で済ませ、腹ごなしにふらふらしていたら再びローマ期の劇場跡に戻っていた。劇場そのものには入れないが、入り口あたりは普通の公園として整備されていて、24時間一般に公開されている。地元の人も観光客も好きなときに訪れ、お昼を食べたり政治を語ったり友人とただだらだら会話をしたりお茶売りからミントティーを購入して楽しむことが出来る。なんていいところなんだろう。この時午後9時。

街の音楽師たち
ぶらぶら写真を撮っていたら音楽が聞こえてきた。
見ると若い男性達がツーリストポリス(観光地に特化した警察官)と話しながら楽器を打ち鳴らし、歌って楽しんでいる。ちょっとした距離から私達も楽しんでいると、「おーい、おいでよ!ヨルダンは初めて?」と声をかけてきた。
最初は恐る恐るだったが次第に打ち解け、英語がほとんどしゃべれない彼らとボディランゲージでなんとかやり取りしつつ彼らの歌や踊りを楽しみ、お茶までおごられ(しかも何度も)、楽器を触らせてもらい、たくさん笑って楽しんで宿に戻った。
左側に立っているのがツーリストポリス。

アンマンには一日半いた。
これからはレンタカーで一路南へ向かい、ペトラへ!

プロフィール

AJK

Author:AJK
WRC観戦が趣味の通訳・翻訳者です。
ひとつの文化として世界ラリー選手権が大好き!
テレビ朝日「地球の走り方」のコメンテーターとして出演中。

米国で会議通訳修士号(MACI)を取得後に自動車専門の同時・逐次通訳として活動、2015年より日本で会議通訳者として活動しています。

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